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法事・仏事

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法事・仏事
法事とは仏教で、死者の冥福(めいふく)のために忌日(きにち)に行う儀式のことです。

亡き方のご命日をご縁に勤める年忌法要(四十九日法要・納骨法要)が一般的には馴染み深いかも知れません。
また、仏事としては入仏法要・建碑法要・初参式などがございます。

人の一生における様々な節目にお寺に御参りいただいて、仏法に遇わせていただくご縁を大切にしてください。

年回忌表(平成28年度版) 

一周忌 平成27年(2015年)
三回忌 平成26年(2014年)
七回忌 平成22年(2010年)
十三回忌 平成16年(2004年)
十七回忌 平成12年(2000年)
二十三回忌 平成6年(1994年)
二十七回忌 平成2年(1990年)
三十三回忌 昭和59年(1984年)
三十七回忌 昭和55年(1980年)
五十回忌 昭和42年(1967年)
百回忌 大正6年(1917年)

十三仏について 

人が亡くなると、七日ごとに決められた本尊が亡くなった人を守り導いてくれる。

初七日忌は不動明王、二七日忌は釈迦如来、三七日忌は文殊菩薩、四七日忌は普賢菩薩、五七日忌は地蔵菩薩、六七日忌は弥勒菩薩、七七日忌は薬師如来、百か日忌は観世音菩薩、一周忌は勢至菩薩、三回忌は阿弥陀如来、七回忌は阿閦(あしゅく)如来、十三回忌は大日如来、三十三回忌は虚空蔵菩薩となり、これを十三仏という。

江戸時代には、人が亡くなると、すぐに菩提寺の住職に伝え、枕経というお経を読誦してもらう。そのとき、死者の枕元に不動明王の掛け軸をかけ、不動明王に死後の御守護と冥途への導きを願う。

不動明王は、心身の障害を除き、不浄を清めてくれる仏、そこで、亡き人の生前の様々な障害を除き、同時に不浄を清めていただいて、七日ごとにお守りくださるご本尊を迎える準備をする。

お葬式というのは、亡くなった人を仏の国へ導く、あるいは悟りの世界へ導く、という大きな目的がある。
そのためには、まず亡くなった人を出家の世界へ導くことから始まる。出家としての「戒」を授け、出家としての名前を授ける。僧侶が僧侶になるために、師匠から「戒」を授かり、「僧名」を戴くのと同じ。「戒名」を授かるのは、このような意味がある。

「戒名」をさずかった亡き人は、仏の国あるいは悟りの世界へ向かうために「仏教」の教えを学ばなければならない。誰から学ぶのか。それは七日ごとの本尊からである。

二七日忌には、釈迦如来が亡き人に仏教の基本を授ける。

一般の人たちは、なかなか仏教について学ぶ機会がない。そこで、死後ではあるがその教えを戴くことになる。

三七日忌には、文殊菩薩が、亡き人を導く。

文殊菩薩は、智慧の仏。亡き人に「智慧」を授ける。仏の智慧は、世間的な「知恵」ではなくて、悟りに根差した「智慧」で、世の中をどう見るか、人間をどう考えるか、などの根本的な問題に対する深い智慧である。その智慧を授けてくれる。

四七日忌には、普賢菩薩が亡き人を導く。

普賢菩薩は、読んで字のごとく、「普く賢い」と書くが、いかなる境遇にあっても菩提心を失うことなく、悟りの智慧を生かすことができる仏。どんな逆境にあっても、仏の智慧を失うことなく悟りの道を進んでいくという力を授けてくれる。

五七日忌には、地蔵菩薩が亡き人を守り導く。

地蔵菩薩は、一般に賽の河原で幼子を守る仏として有名だが、本来の意味は、地面の中に秘められている宝物を掘り出す、つまり、人の心の中に隠れている仏心や智慧を掘り起こしてくれる仏。したがって、亡き人の心に隠れていた仏心や智慧、またはその人の特性掘り起こしてくれる。

六七日忌
には、弥勒菩薩が亡き人を守り導く。

弥勒菩薩は、兜卒(とそつ)の浄土にあって、五十六億七千万年後にこの世に降りてきて衆生を救ってくださるという未来の仏。真言宗の開祖・空海上人は、弥勒菩薩を深く信仰し、自分の没後には弥勒菩薩のもとに従い、菩薩がこの世に降り立つ時に共にこの世に降り立ち衆生を導こう、との願いを持っていた。弥勒菩薩は、亡き人に衆生を導くという大きな志を持って仏の道を歩むようにとの教えを授ける。

七七日忌は、薬師如来が亡き人を導く。

薬師如来は、いろいろな病気を治してくれる仏。

この七七日忌でいわゆる「中陰」が終わる。中陰というのは、「中有(ちゅうう)」とも言い、この世に生まれた瞬間を「生有(せいう・しょうう)」と言い、亡くなった瞬間を「死有(しう)」と言う。そして(七七)四十九日が終わるとどこかの世界へ生まれ変わる、というのが輪廻転生の考え方であるが、その生まれ変わるまでの四十九日の間を「中有(ちゅうう)」と呼んでいる。七七日忌が終わるという事は、そのあとどこかの世界に生まれ変わらなければならない。「どこかの世界」とは、六界または六道といわれる六つの世界に生まれ変わると考えられている。つまり、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つである。生前の行いによってこのいずれかの世界に生まれ変わる、とされていた。さて、亡き人は、枕経から始まって通夜・葬儀を経て、すでに出家としての資格を持っており、四十九日の今日まで、いろいろな本尊から仏の道への導きや教えを授かってきた。そこで、亡き人は六界に生まれるのではなく、仏の世界へ生まれていくこととなる。これを「往生」とも言う。仏の世界へ=往いて生まれる=という意味である。

薬師如来は、そのための力を貸してくれ、生前の病が再発することなく、悟りの道への妨げとなる病を得ることなく無事に極楽浄土へ着くようにと守ってくれる。

百か日忌には、観音様が極楽浄土の入り口まで迎えてくれ、亡き人の手を取って浄土へと引き上げてくれる。

極楽浄土には、阿弥陀如来の宮殿があって、中央に阿弥陀如来、その右側に観音様、阿弥陀様の左側に勢至菩薩様が控えている。亡き人が極楽浄土についたときには、衆生済度の一番の有縁の仏である観世音菩薩がいち早く迎えに来てくれ、観世音菩薩は、「施無畏」と言う、「決して恐れることはない」という意思表示をして、衆生を迎えてくれる。それゆえに江戸時代には、百か日忌のことを「出苦忌」といっていた。

一周忌には、勢至菩薩が亡き人を守り、導く。

勢至菩薩は観世音菩薩と同じように衆生を救うが、観音様が主として、特に善男善女を救ってくれるのとは異なり、「難化(なんげ)の衆生」を救うことを主な目的としている。「難化の衆生」とは、仏の教えに耳を貸さず、地獄へ落ちていくような悪事を働いてばかりいる衆生の事を言う。勢至菩薩は、そのような衆生の前に降り立って、どうしてそのような悪事を行ったのかと問いただし、その衆生が悪事を働くようになった欲望を満足させるために、冠の中に戴いている「宝瓶」のなかから衆生の欲しているものを出して与える。すると衆生は欲望が満足され、仏の教えを素直に聞くようになる。勢至菩薩が仏の道をさとすと、衆生は菩薩に向かって合掌をして、これからは仏道に励みます、と誓う。するとたちまち衆生は地獄の世界から、極楽浄土の世界へ向かって登っていく、という方法で済度をする。どんな極悪重罪の衆生にも、必ず仏心は備わっている、それを心の表面へ押し出してあげよう、というもの。これから悟りの道をたどるにあたって、悉有仏性の教えを示されている。

三回忌は、阿弥陀如来が亡き人を守り導く。

阿弥陀如来は、宝蔵比丘と言われた修行時代、師から十方浄土のありさまについて教えられた。そのとき、宝蔵比丘は、自分は自分の理想とする浄土を建設しようと四十八願をおこし、それを実現するための浄土を建設した。その中でも「九品の浄土」といわれるものを構築し、すべての衆生が浄土に往生して安楽な境地を味わってもらうことを願いました。九品の浄土とは、衆生をまず「上品(じょうほん)・中品(ちゅうほん)・下品(げほん)」の三種に分け、それをそれぞれ三つずつに分けた。つまり、「上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)」の三種に分けたのです。これを続けて申しますと、「上品上生」「上品中生」「上品下生」「中品上生」「中品中生」「中品下生」「下品上生「下品中生」「下品下生」ということになる。その「九種」の衆生のすべてが極楽往生できることを願った。「アミダ」とはサンスクリットの「アミターバ」と「アミターユース」の二つの意味を込めたもので、「無量光」と「無量寿」の二つの意味がある。量ることのできないほどの光と、量ることのできない寿命を持った仏さまという意味。すべての衆生が大いなる光と永遠の命を以て安楽な境地に住むことができるようにとの、深い願いが込められている。

七回忌は、阿閦如来(あしゅくにょらい)が亡き人を守り導く。

仏道修行についての模範的な仏。東方アビラダイという国の教主だが、その修行時代に「無瞋」の行を成就し、菩薩の時から「アシュク」というあだ名がつけられるほど厳しい修行を自らに課して、それを成就した。「アシュク」とは「無瞋」という意味で、「怒りのない心」という意味です。あだ名がそのまま如来の名になったわけです。

亡き人が、以来、いつまでも消えない怒りの心をなくすため。

十三回忌は大日如来が亡き人を守り導く。

大日如来は真言宗の本尊。大日如来には、二つある。胎蔵界曼荼羅に描かれている本尊が「胎蔵界の大日如来」であり、金剛界の曼陀羅に描かれているのが「金剛界の大日如来」である。

その違いは、胎蔵界の大日如来は、坐して掌を上にして指を伸ばしておなかのところで組んでいる姿、金剛界の大日如来は、胸のあたりで両手の胎拳を重ねている。

十三回忌の大日如来は、金剛界の大日如来。

金剛界の曼陀羅は、九つの部屋に分かれていて、その九つの部屋の中にたくさんの仏さまが描かれているが、これらの仏がそれぞれ支えあっており、九つの部屋もそれぞれに支えあっているという、すべての世界がそれぞれに支えあい、結びついているという世界を構築している。

亡き人も、やがて成仏し、先祖を守る仏となるが、すべての仏さまと支えあい結びついてしっかりとした仏の世界を構築しょう、という意味が込められている。

三十三回忌は、虚空蔵菩薩が亡き人を守り、導く。

虚空蔵菩薩は、悟りの「空」の化身であり、その「空」の執着のない広大さをあらわした仏。

亡き人は三十三回忌で成仏するといわれている。虚空蔵菩薩は、亡き人の成仏を祝って虚空より香華を降らし、楽の音を奏でるという。

このように、十三仏は、亡き人の成仏を助け、守り導いてれる。

この十三仏信仰は、インドから唐へ伝わり、唐で熟成されたのち日本へ伝わったのである。

日本では、仏教の教えを民衆に伝える手段として十三仏信仰が僧侶らの手によって広められたが、やがて寺院の経済活動の一つの手段としても用いられ、十三回忌のあと、十七回忌や二十三回忌、二十七回忌、三十七回忌、四十三回忌、四十七回忌、五十回忌、百回忌などが加えられるようになりました。

このほかに、宗派の開祖などには、遠忌と申して、五百年御遠忌とか、千二百年御遠忌などといわれるものがあります。いってみれば、亡き人を偲ぶ「記念日」のようなものと考えればいいと思います。そこに、仏教的な意味合いを込めて、仏教を知ってもらうための一つの手段として布教のための法要を行うようになったのだと考えられます。