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寺院沿革

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荘厳寺の開基と歴史に関する略年表

永仁七年(一二九九)  荘厳寺境内に板碑あり。
文明一四年(一四八二) 荘厳寺境内に板碑あり。
天文二二年(一五五三)  荘厳寺境内に下総板碑あり。
天正三年(一五七五)  伊能景信の子景久、国分氏の許可を得て帰農
佐原村新宿を開発し佐原開創となる
天正八年(一五八〇)  『佐原村の内新宿始めて開起す』(市の成立)
天正一八年(一五九〇)七月一一日 徳川家康関東に移封(関八州管掌)
慶長四年(一五九九)四月~  元忠、領地検地を一斉に行う。
(佐原・返田・下小野・岩ヶ崎・大倉・長山に本帳や写しが残っている)
この検地帳に荘厳寺の田が記載されている。
寛永一四年(一六三七) 諏訪上(天王宮)牛頭天王の宮を、本宿・八日市場へ遷座する。
寛永一八年(一六四一)四月 荘厳寺開創(佐原町誌・佐原市史による)
正保二年(一六四五)七月一六日 荘厳寺・権大僧都法印尊栄入寂
延宝五年(一六七七)一二月一四日 荘厳寺・権大僧都法印清珊入寂
延宝七年(一六七九)三月二八日 荘厳寺・権大僧都法印尊清入寂
天和三年(一六八三) 浜宿天王宮中興造立にあたり宮地を寄進す。
(伊能権之丞寄進状)
元禄二年(一六八九)二月一三日 荘厳寺・権大僧都法印空珊入寂
元禄六年(一六九三)一二月 佐原新宿組の領主奥津内記、中田一反歩を荘厳寺に寄進
元禄一三年(一七〇〇)二月一八日 香取神宮・神宮寺(金剛宝寺)正式に修復の儀、仰せ渡される。
一二月二四~二六日 神宮寺(金剛宝寺)臨時祭
享保七年(一七二二) 遊行上人佐原を巡錫する。伊能権之丞家で招待。
その後は荘厳寺に宿をとる。
《文化一〇年(一八一三)まで三度の巡錫あり。荘厳寺を宿とする。》
享保七年(一七二二)一二月二四日 関戸水神坊借地より出火。横宿残らず焼失。
享保一〇年(一七二五)二月二五日 新宿の横宿焼失。
享保一三年(一七二八)八月二一日 荘厳寺・権大僧都法印寶意入寂
享保一八年(一七三二)八月一五日 荘厳寺・権大僧都法印空恵入寂
享保一八年(一七三三)一一月八日 諏訪神社棟上げ
一一月二七日  諏訪神社遷宮(諏訪神社別当荘厳寺現住亮春の名あり)
元文五年(一七四〇) この頃佐原には一九ヶ寺あった。
宝暦三年(一七五三)一二月 新四国八十八ヶ所札打ち遍路始まる。(荘厳寺乗範代)
宝暦一一年(一七六一)三月二〇日 荘厳寺・権大僧都法印真龍入寂
明和四年(一七六七)二月二三日 荘厳寺・権大僧都法印戒範入寂
明和五年(一七六八) 荘厳寺で大般若転読を行うために『萬人講』にて大般若六百巻を購入。
安永二年(一七七三)五月一二日 荘厳寺・権大僧都法印宥雄入寂
安永二年(一七七三)九月二四日 荘厳寺・権大僧都法印宥映入寂
寛政二年(一七九〇) 荘厳寺・棘林如啓和尚入寂
寛政九年(一七九七)  大般若六百巻の各表紙裏に記譜芳名簿あり。
寛政一一年(一七九九)四月二一日 荘厳寺・権大僧都法印宥延入寂
文化六年(一八〇九)二月七日 上新町より出火、荘厳寺・横宿焼失す
文化一一年(一八〇九)八月二十五日 荘厳寺再建される。(元貞代)
文政六年(一八二三)六月一八日 荘厳寺・権大僧都法印尊情入寂
天保元年(一八三〇)九月二十日 国学者小山田与清、鹿島詣での途中、佐原に寄る。
九月二十七日 与清諏訪神社を詣でる。「いと高き石段を登れば、山のはらに別 当の坊あり。」「別当の坊にて酒のみなどしつつ、おのおの歌よ む。」「荘厳寺という古寺に詣づ。文明十三年三月九日とゑ(彫) りたる石碑あり」
天保二年(一八三一)  昨年の祭礼紛争につき、新宿祭礼差し止め、村役人相談のうえ 、神輿を荘厳寺に飾り付ける。
天保二年(一八三一)一〇月六日 荘厳寺・徳演法師入寂
天保九年(一八三八)二月 『橋本文書』に荘厳寺の大般若転読の記事あり。
天保九年(一八三八)四月 『橋本文書』に荘厳寺が勧進元となって相撲興行を行ったことが記載されている。
天保一五年(一八四四)一二月一日 荘厳寺・権大僧都法印弘胤入寂
嘉永二年(一八四九)六月二九日 荘厳寺・権大僧都法印真恵入寂
明治元年(一八六八)三月二八日 神仏分離令出る。以後、全国に廃仏毀釈運動起こる。
明治二年(一八六九) 荘厳寺別当を除かれる。倒壊されようとしたが、檀徒によって免れる。
明治二年(一八六九)~ 北横宿・佐藤氏、金剛宝寺本尊・十一面観音を譲り受け荘厳寺に寄贈する。
明治一一年(一八七三)三月二三日 荘厳寺・権大僧都法印渡辺祐範入寂
明治一八年(一八八五)一月一五日 越後国菅谷寺・菅谷栄正師、菅谷不動尊尊影を擁護し、荘厳寺に供奉す。
明治一八年(一八八五)一月一六日
~二二日まで
菅谷不動尊を開扉す。
明治一八年(一八八五)三月一三日 菅谷不動尊堂宇建立を千葉県に出願。
明治一八年(一八八五)四月一日 講社世話人に経過報告。
明治一八年(一八八五)五月一四日 県知事船越 衛氏より、堂宇建立の認可を得。
明治一八年(一八八五)四月一日 講社世話人に経過報告。
明治一八年(一八八五)七月一日 上棟式挙行。
明治一八年(一八八五)九月二九日 越後国菅谷寺へご本尊ご分容の認許を出願す。
(佐藤要助氏、木内幸助氏等)
明治一八年(一八八五)一〇月二九日 菅谷寺・山岸経応猊下よりご分容認許下る。
明治一八年(一八八五)一一月八日 荘厳寺境内に菅谷不動堂が建設され、新潟県新発田市菅谷寺住職山岸経応師、ご分容を擁護し来たり、入佛供養す。
ここに菅谷不動尊勧請し畢る。
明治三七年(一九〇四)一月 菅谷不動堂守護職菅谷栄正師不正を働き、守護職を追われ、 荘厳寺住職・杉本順敞師菅谷不動堂の守護となる。
(荘厳寺と菅谷不動堂とが合併する)
大正二年(一九一三)一月一二日 荘厳寺・権大僧都杉本順敞入寂
昭和六年(一九三一)二月二九日 荘厳寺・大僧都根本順道入寂
昭和二一年(一九四六)七月一三日 荘厳寺・大律師根本順識入寂(戦病死)
昭和二六年(一九五一) 北横宿の荘厳寺を諏訪山上に移設す。
昭和四六年(一九七一) 荘厳寺・第二十七世山田尊鏡師入寂
昭和四七年(一九七二) 根本量識長谷川寛治氏の要請により帰省
昭和四七年(一九七二)六月六日 根本量識、荘厳寺第二十八世住職を拝命
昭和四七年(一九七二)十月十八日 荘厳寺・第二十八世晋山式
昭和五二年(一九七七)六月 真言宗豊山派千葉県第四号宗務支所仏教青年会初代会長となる
平成二年 (一九九〇)一月一日 根本周順荘厳寺住職を拝命
平成八年 荘厳寺豊山派から単立寺院となる
平成十二年(一二〇〇)  根本量識荘厳寺第三〇世住職拝命
平成一七年一〇月  菅谷不動尊勧請一二〇年記念大法要行われる
平成二十七年一月十二日 荘厳寺・第二十九世周順入寂
平成二十七年五月中 菅谷不動大尊像なる
平成二十七年六月二十八日 菅谷不動大尊像開眼法要行われる